■ 10月20日の発言
○ 小川(淳)委員 民主党の小川淳也でございます。
けさの今井参考人のお話をお聞きするにつけまして、私は、今井参考人は、憲法の改正の中身そのものよりも、むしろ間接民主制を補完する直接民主制としての国民投票法制を実現されたいんだなと。御本人のお言葉にもございました。お亡くなりになる前に一回はそれを経験してみたいというようなことをおっしゃっておられたわけであります。
それに対して、先ほど船田委員の方から混同をしているのではないかという御発言がございましたが、私も、この委員会の趣旨として、その御意見は本当にわかるところがございます。ただ、その意味でいえば、今井参考人の混同はむしろ確信犯としての混同であり、積極的な提言をするための混同ではなかったかと思っております。
と申しますのも、私も、実体的な中身の議論と切り離した形でこの投票法制、手続論が進むことに関しては懸念を持っている一人であります。ですから、もしこの投票法制が憲法改正に限定した投票法制であれば、やはりそれと並行して、実体的な中身をあらかたでも示していくべきだという考えを依然持っております。しかしながら、そのこと自体が本当に国民的なニーズに合っているんだろうかという根本的な問いかけを持っています。
しかし、例えば、EU憲章の批准ですとかあるいはユーロの導入ですとか、日本国内の合併に対する住民投票、この直接民主制に対するニーズというのは世界的に大変高まっている。その潮流にこたえていく道は、むしろ一般的な国民投票法制としてこの日本国に実現をしていく。それは、憲法改正のための投票法制という狭い意味合いではなくて、一般的な国民投票法制として今提示をしていけるなら、むしろ国民のニーズに合っているんじゃないかという気が大変いたしましたので、意見表明させていただきます。
あと、委員長、日々の委員会のお取り回し、心から大変敬意と尊敬を申し上げつつ、横から眺めさせていただいております。特に、柴山委員と枝野委員とのダイレクトなやりとり、お取り計らい、本当にお見事だと思いながら拝見をしておりました。私は、この憲法委員会、中身の議論にせよ手続の議論にせよ、議論を高めていく、あるいは掘り下げていく、大変な営みが必要だと思っています。その意味で、ダイレクトなやりとりあるいはタイムリーなやりとりというのはどうしても必要です。
その意味で、これは新人議員に免じてお許しをいただきたいんですが、参考人に対する質疑も、もう五分でも十分でも結構です、もし自由な発言をお許しいただける機会があれば、非常に委員会の運営にとってもいいのではないかと思いますし、また、御報告なんですが、午前中の委員会が終わった後、トイレで吉岡参考人と御一緒をさせていただきまして、最後の一時間ずっと我慢をして、やっと駆け込みましたというお話もございました。中に例えば五分でも休憩があるとか、そういったことも含めて、委員会の議論が生きていくようなお取り回しをさらにいただけたら、大変ありがたいかなという気がいたしました。
大変ぶしつけな、新人議員に免じてお許しをいただきたいと思っております。ありがとうございました。
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■ 10月13日の発言
○ 小川(淳)委員 民主党の小川淳也でございます。
午前中の参考人意見に関連して三つ発言をさせていただきます。
一つ目に、高橋先生の参考資料、論文の中で大変矛盾する記述がございます点に関して。
「おわりに」の部分なんですが、憲法改正のために必要な手続法令は、平穏時に冷静、周到に用意しておく必要があるという記述がございます。これに対して、昭和二十六年から八年にかけて、この手続法案、国民投票法案が審議され、閣議決定に至らなかった経緯の中で、憲法改正を意図しているとの観測、また閣内の反対意見、これはいろいろな世論があった結果だと思いますが、結果として閣議決定に至らなかった。
私は、この二つの矛盾する点をつなぐのは、やはり、投票法案、手続法案を議論するに当たっては、中身の議論を並行して進めて、その上で安心感を持って提案をする必要がある、それしかこの矛盾をつなぐ方法はないんだという気が改めていたしました。それが一点でございます。
二つ目は、高見先生の参考資料に関係してなんですが、やはり、投票権の範囲で、主権のあり方を決める国民投票権とその主権を代理行使する被選挙人を選ぶ選挙権との間に本質的な差異があるという議論がございました。しかし、私にはどうしても、そこに本質的な差異があるということがどうも論理的にも理念的にも理解できません。
結果的には私は十八歳に引き下げるべきだと思っているんですが、もしそこに本質的な差があるのであれば、まさに高見先生おっしゃったように、民法の成人規定とか公職選挙法の成人規定を気にもとめる必要がないはずなんですが、やはりそこを気にしておられた。ということは、私は、この十八歳までの引き下げ議論については、むしろ選挙権全般を十八歳に引き下げる、民法の成人規定も十八歳に引き下げる。そのきっかけ、突破口の議論として、今回この国民投票権を十八歳まで引き下げることを一つの入り口にしていく。非常に言葉は悪いんですが、便宜的、実利的にこの議論を進めていくのがむしろ適当ではないかという気がいたしております。
最後に、三点目は、憲法の正当性に関する議論。
既に自由討議の中でも何件か起きていただいているわけですが、私は、今の現行憲法が確かに敗戦という異常な状況の中で当時の天皇主権から国民主権へと全くその矢印の向きが変わってしまったわけでありまして、そこに大きな革命的な断絶があること、これは否定しようのないことだと思います。
しかし、だからといって、正当性が欠けていた、正当性がなかったということになりますと、その後五十八年間の私たちの歴史は何だったんだ、後に振り返って、この五十八年、あるいは憲法改正されるまでの間、日本という国は非正当な、不当な憲法のもとで歴史を積み重ねてきたのか、そんな議論にならざるを得ないわけでありまして、私は、事の経過はどうであれ、この革命的断絶を受け入れていく覚悟の方がむしろ日本人として求められるんではないかと思います。その意味で、五十八年間の歴史は非常に重く、この憲法に対しては、五十八年間の歴史分の正当性を積み重ねてきたと思うべきではないかと思います。
その意味で、溶け込み改正等々の議論も法律的にはあるにせよ、それほど憲法の改正とは簡単なことではなく、五十八年間の日本の歴史というのは非常に重みがある、そう考えるべきではないかと思っております。 ありがとうございます。
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