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〜会議録(06年2月24日予算委員会公聴会)〜
○小川(淳)委員 先生方、きょうは本当にありがとうございました。たくさん示唆に富んだお話でしたし、何より、それぞれの分野において、先生方の熱情といいますか、その分野に対する情熱を感じることができたことは本当に幸せなことだと思っています。本当にありがとうございました。
その上で、少し大局的な観点からお尋ねをしたいと思っています。実は、この予算委員会、百時間に余る審議時間を経過してまいりましたが、耐震偽装、BSE、牛肉問題、それから談合、こうしたことに関連した審議がほとんどだったんですね。いろいろな規制緩和とか自由主義、そういったことのいい面と悪い面、これは両方考えないといけないと思うんですが、まず、吉野先生にお伺いしたいんです。
経済あるいは金融自由化、こういった専門家から見て、私は、このベースに、牧野先生がおっしゃった新自由主義とか新保守主義といった最近の価値観が流れているんじゃないかなという気がしてならないんですが、先生は、この新自由主義あるいは新保守主義といった価値観をどのように評価しておられますか。
○吉野公述人 御質問ありがとうございました。
日本をこれから考える場合に、やはり、ほかの国々と比較してどうかということを一つ考えなくちゃいけないと思います。それから、マーケットメカニズムと、それが働かなかったときにどうするかという両面があるのではないかと思います。
まず一つは、日本の高度成長期のときにはずっと、アジアの国々という競争をする相手がほとんどいなかったと思います。ところが、中国という国が起き出しまして、そこが非常に成長してきたというわけです。中国は、経済の中では相当マーケットメカニズムを使いながら成長していると思います。日本の中でも、これまでいろいろ自由にできることができなかったために、本来ならばもっと成長できた分野というものがあったと思います。だから、そういう意味では、いい意味での市場の活力を利用してアジアのほかの国々に負けない力をつけるという意味での新自由主義というのは、私は大賛成です。
ただ、それと同時に、ナショナルミニマムとして、ここまでは税金のお金でみんなが見るべきである、例えば義務教育でも結構ですけれども、そういうところまでは必ず見ていく必要が私はあるような気がいたします。
○小川(淳)委員 ありがとうございます。私もそのとおりだと思います。
いわば自由主義は、社会主義との百年戦争に勝って、完勝して、私は、何かおごりが出てきているのかな。アメリカの市場主義もそうですし、対外的な外交、軍事の強硬路線を見ても、ライバルを失ったアメリカの大変なおごりが出てきているんじゃないか、自由主義が非常におごった形で出てきた、それがいろいろな形の弊害を生んでいるんじゃないかなという歴史観、社会観を持っています。決してそれに日本が乗せられてはならないという気がしてなりません。
社会主義は、経済、政治システムとしては歴史上完敗したわけでありますが、それが目指した、助け合いだとか結果の公平だとか社会の安定だとか、その価値自体は、これからも生きるんだという気がしています。そういう意味で、今のこの余りにも自由とか市場とか民営化とかいう路線が行き過ぎることに対して、やはり日本国としては慎重な路線をとるべきだという気がいたしております。
そして、これに関連して、雇用問題、馬居先生にお聞きしたいんですが、これもある種の歴史観が必要だと思っていまして、今、正規雇用と非正規雇用の対称性がよく議論になります。先生御自身が、この区分がもはや成り立たないんじゃないかということを先ほどおっしゃいましたね。(発言する者あり)牧野先生です、失礼しました。
それで、牧野先生、世の中の一般的な議論としては、非正規雇用は不安定で不利だから正規雇用をふやすべきだというような考え方をとるんだと思うのですが、私、実は逆でして、一生涯保障する形の正規雇用というのはこれから日本で成り立たないという気がしています。ですから、そういう意味では、雇用は、どんどん非正規雇用、臨時的な雇用、少なくとも非終身雇用へ向かうんじゃないか。そのかわり、例えば年金とか医療とかいった社会保障に関しては完全に格差のない、あるいは同じ職業であれば賃金水準は全く同じ、そういう、今までの正規雇用と非正規雇用という対称的な分け方ではなくて、社会保障という意味では完全に一緒、しかし、それは生涯の、一つの会社、一つのポジションにおける雇用を保障するものではないという意味での非正規雇用、こういう新しい形の雇用形態が日本に必要ではないかという考えを持っておるんですが、牧野先生、いかがでしょうか。
○牧野公述人 先生は、割合、私に近いんですよ。
私は、きょうは労働の分野から発言させていただいております。資本主義の大原則は契約自由の原則です。私はそれを否定していないんです。ある範囲でそれは修正しなくちゃいけないということを申し上げているわけです。
例えば、最低賃金制というのがこの国にもございます、低いんですけれどもね。沖縄だと、時間六百八円、これは一カ月に直しても十万円程度でしょう。だけれども、今、高い低いを問題にするんじゃなくて、それよりも、例えば、ばからしい数字を言いますけれども、契約自由の原則で、一日一億円だっていいんですよ、払う方と払われる方がオーケーすれば。だけれども、六百八円を下回ったら、法律に反した犯罪者として使用者は罰せられる。これなぞは、契約自由の原則を私は認めているわけでしょう。だけれども修正が必要である。
これは、資本主義がだんだん進んできた過程でそういうのがいっぱい出てきていますので、そういうのが積み上げられてきた。先生もさっきおっしゃったように、やはり社会主義との対抗上、資本主義諸国も社会保障を充実させてきたということがあります。そういうふうに考えています。
雇用についてですけれども、先生御存じでしょう、アメリカのスタンフォード大学の名誉教授の青木昌彦。よくいろいろなところに、私、これは日経新聞のことしの元日号からとったんです。こういうのがあるんですよ。青木さんが言っているんですよ、「私は日本の制度の核心にあったのは、終身雇用、年功序列システムだと思う。一つの場所にある職業を天職と考え、そこで精進することと引き換えに安定を得られる仕組みだった。」これが崩れたということを、あの方は、アメリカに長くいて、日本のシステムの変わった、ここでは中立的に変わったと言いますけれども、変わった大もとにこれがあるということを言っているわけです。
確かに、高度成長以降、ある時期まで、頑張れば賃金も上がるということで、パイの理論というのが働いてきたと思うんですよ、パイを一緒にふやそうやと。ところが、最近は、幾ら会社のためにやっても、会社の方は史上空前の利益を上げるのに賃金は下がっている。こんなふうになってきているところで、パイの理論が破綻していますね。
そういうことから考えると、一定数の会社に責任を持った雇用形態の人たちというのは、これはぜひ必要じゃないかと思います。その比率がどうかは業種によっていろいろあると思いますけれども、問題は、正規以外のところに、だって、物はばらで買うと普通高いんです、あめだって。ところが、労働力だけ、ばらであれすると安いというのはどういうんですか。まあせいぜい、ばらで買ってもまとめて買っても同じ、つまり正社員も非正社員も同じということになれば、先生の考えと同じでございます。
以上です。
○小川(淳)委員 ありがとうございます。
私も本当に近い考え方を持っていまして、つまりは、日本は高度成長期の幻想から覚めなきゃいかぬ。こんな、三十年間、四十年間かけてあなたの雇用を保障します、しかも退職するときにすべての元を取らせますという言い方そのものが、高度成長期のみに成り立った幻想だ。それに従ってつくられたあらゆる年金制度、医療保障、社会保障制度を一回組み直さなきゃいかぬという認識を私は持っておりまして、非常にそこには力を入れたいなと思っております。さらに言えば、予算編成、あるいはここから先の日本、少子化の問題、本当に大きな問題、人口減少の問題、これほど大きな構造変化はこの先ないと思っています。
実は私も、先ほど馬居先生のお話をお聞きしながら思っていたんですが、私、団塊ジュニアです。昭和四十六年生まれ、三十代前半。二カ月たったら三十代後半に入ります。そして、都市のサラリーマン、ちょっと不安定なサラリーマンですが、ほぼ、専業主婦に子供二人、小さなアパート暮らしをしています。子供は三人欲しいですね、三人以上いてもいいなと思います。でも、結果的に二人です。
少子化を考えたときに、ちょっとびっくりした数字がありまして、出生率が今一・二九と言われていますが、実は、既婚者のカップルから生まれる子供は二・二人。この数字は、七〇年代から三十年間変わっていないんですね。そこはまさに、先生おっしゃるように、晩婚、未婚が極端に進んでいるということだと思います。それから、結婚しているカップルが望む子供の数は、通常三人を超えています。ところが、実際には二・二人前後。そこのギャップ、この二つのギャップを何とかして埋めなきゃいかぬということなんだと思うんですね。
そこで、家族観の問題、アジアの問題をおっしゃいました。ここにも驚くべき数字がありまして、出生率が回復している北欧諸国では、結婚する前の男女が自然に恋愛関係に入って、自然な形で暮らしをともにする、そこで非嫡出子の形で出生をして、その後結婚していくという形で家族を構える割合が、何と九割だそうです。
これは本当に根深い問題、日本の雇用制度から、もちろん社会保障制度からいろいろな問題がありますが、伝統的な家族観を含めて、これはひょっとしたらアジア全体の問題かもわかりません、そういうところから一度立て直していく必要があるのかなという気がするんですが、先生の御高説を賜りたいと思います。
○馬居公述人 今言われたデータは大体承知しておりますが、より正確に言いますと、結婚した者の出生率が、昨年、一昨年度かな、減少期に入った。これは、晩婚化の進行によって一人しか産まない方がふえてくる。これはもう当初からわかっていたので、晩婚化が進めば二人も難しくなるであろうということが、これは三段階目ですね。最初、少産化、すなわち意図的に子供を減らした。それから二段階目に、結婚する人と結婚しない人に分かれることによって、産む人は二人、しかしゼロの人がいる。三段階目が一人しか産まなくなる。
日本は今その段階に入りつつあると思いますが、ただ、結婚そのものの経緯というのがある種の二極分化をして、結婚される方が、意図的に明確な目的を持って結婚される方と、さまざまな理由で、やむを得ずということは言い過ぎですけれども、それほど準備なく結婚される方という二極分化が進んでいるとはよく言われております。それは、結果的には、子供の世界における学力の二極化に反映することもあるのではということを今は危惧しております。
それで、アジアの問題とかかわっていえば、まさにそういうことではありますが、先ほど雇用の問題の話に出てきましたけれども、人口構造が根本的に変わって、きょう、人口ボーナスという言葉を使いましたけれども、このことは最初からわかっていたわけですね。にもかかわらず、準備は多分した、それが八〇年代のミスというふうに私は言いましたけれども、日本型の構造はピラミッド形の人口構造でなければ維持できないということは少し考えればわかることなのに、何でそれにまたしがみつこうとするのか。
したがって、日本型の構造、ピラミッド形の構造が逆ピラミッド形に変わっていくというのは、これはアジア型の地縁、血縁を中心とする、もっとも、これはアジア型だけじゃなく、前近代社会はほとんどそうですけれども、社会が工業化、言いかえれば、ヨーロッパに生まれた、それに先立つ個人主義的な文化を前提とする、その結果、夫婦と二人の子供という核家族化を家族のモデルにするという、これは全部ワンセットなわけですね。そうでないと工業化は不可能なわけです。
にもかかわらず、従来の、専業主婦が維持できる、言いかえれば人口ボーナス時の一時期の社会現象と考えたこと自体が間違いなのであって、もうそろそろあきらめて、新しいモデルをつくることを考えないと、人の面でのキャッチアップ、すなわち外国からのキャッチアップが日本を追いかけてくると思います。
ただし、どこの国も成功していません。ヨーロッパの制度を入れることに対しては、御存じだと思いますけれども、北欧型は、今はフランスもそうなりましたが、生まれてくる半分が、結婚していない、もしくは結婚を一時的にしているだけの男女の子供です。
この点について最後に言いますけれども、このことは、そういった工業化後の社会において個人化が進むときに、それでもなおかつ次世代を育てていくためには、多分、ヨーロッパ的に考えたら必然だったんだと思います。アメリカのように、移民の活力を常に内側に持ちながら、なおかつ、高い富を持った人が安い子育ての労働力を維持できるような社会ではなく、権利意識の強い社会においては、ヨーロッパ型の方向をとらざるを得なかったんだと思います。
○小川(淳)委員 ありがとうございます。
とにかく日本というのは、本当にいろいろなことを根底から組みかえていかなければならない時期にそろそろ来ているんだろうなと、本当に心からそう思います。
郷原先生、お待たせいたしました。きょうは、郷原先生にお目にかかるのを楽しみにしていたんですが、いろいろな先生のコメントを見るにつけ、また、きょうのお話を拝聴するにつけて、その洞察の深さといいますか、お考えの深みに感銘を受けております。
例えば、各種の法律の背景にある理念と社会的要請を徹底的に理解しなければならない。マニュアルや法令に従ってさえいればいいという考え方は、場合によってはより大きなリスク要因となり得る。重要なのは、そうしたマニュアルや法令が目指している社会的要請にこたえるという考え方を持つこと、法令やマニュアルは、そうした社会的要請にこたえるためのあくまで手段にすぎない。
やはりこういう倫理観、価値観が、まさに耐震偽装の問題、それからライブドアの問題で問われた予算委員会でありました。
少し具体的な証券市場等のお話をお伺いする前に、その辺の、日本人としての価値規範、あるいはいろいろな世界の国際的な動きの流れとの関連もあろうかと思いますが、そこに対する先生の熱情といいますか情熱といいますか、大変漠然としたお尋ねで申しわけないんですが、心の問題も含めた、今、日本人が抱えている病巣について、先生の観察をお聞かせいただきたいと思います。
○郷原公述人 よく、企業倫理とか経営倫理という言葉が出てきます。私は、それが非常に大事な言葉だと思う反面、法令遵守という言葉と同じように、抽象的な言葉で片づけることでかえってマイナスになってしまうんじゃないかという気がしております。
要するに、必要なことは、具体的に何をどうしてどう解決していくかということであって、そういったことについて、恐らく先人、例えば企業でも、戦後の名経営者の人たちは、コンプライアンスがどうのこうのということを言わなくてもきちんとした対応をしていたんだと思うんですね。
ところが、最近の経済社会の司法化、社会全体の司法化の流れの中で、法というものを誤った方向で理解して、何か一たん決めたものはそのまま守らないといけない、それさえやっていればいいというような感覚に陥ってしまったことに、最近いろいろな問題が発生している根本的な原因があるんじゃないかという気がしています。
法にはその込められた大きな価値観があって、そっちの方を向いていかなくちゃいけないわけで、それを単なる一つの言葉というふうに理解してしまうと、誤った方向に行くんじゃないかというふうに考えております。
○小川(淳)委員 先生、なぜ私たちはそこをさまよっているんでしょう。未熟なんでしょうか、精神的に。
○郷原公述人 要するに、法とのつき合い方というのが、日本人の場合、先ほども申しましたように、日本人における法というのは遠い存在でした。ですから、本当に自分たちのものとしてルールをつくっていって、自分たちのルールとして大切にしていこう、そういう形で法に魂を入れていこうということを今まで十分にやってこなかったんじゃないか。これから司法制度を改革して、もっともっとルールを大事にしていかないといけないということは、経済の自由化に伴って不可欠になってくると思います。競争原理を徹底することに伴って不可欠になってくると思いますけれども、そうであれば、なおのこと、そこのスタンスをもう一回固めないといけないんじゃないかと思っております。
○小川(淳)委員 自由化とか規制緩和とか、自由、自由というわけなんですが、何か思うんですよね、多分、自由ほど不自由なことはない。自由というのは、本当は不自由なことであるはず。それまで外側に設けられていたさくを、今度は自分の心の中に立て直さなければならないはずなんですね、恐らく自由とか規制緩和ということは。そこの価値規範とか倫理規範がまだまだ未熟。本当の自由と言葉じりの自由とを履き違えてきている。そこに私たちの大きな未熟さがあり、これは相当、私たちが一人一人の問題として考え直さないと、同じような問題が繰り返し繰り返し起きていくんだろうなという気がしてなりません。本当に日本という国が、日本人が自立した存在として確固たるものに成長していく、そのために物すごく乗り越えなければならない一つの壁なんだろうなという気がいたします。
そうはいっても、具体的な政策論としても、やはり専門的な御所見をぜひ知恵としておかりしたいわけであります。
例えば、市場規模が急激に拡大している、一方で、こうしたライブドアを初めとした事件が起きた。あるいは、昨年、JRの尼崎線で、効率的なダイヤを追求する余り、あれだけの人命が失われた。そこには、効率とか市場の拡大とか経済性とかいった一方の価値を追求する余り、何かもう一つの大切な価値を軽視してしまった、その矛盾と闘うためのさまざまな行政、経済上の仕組みを今度はつくっていかなければならないんだと思います。
そこで、先生が御専門としておられます、例えば今回のライブドア問題を初めとした証券市場のトラブルと、新しく施行が予定されています新会社法との関係、あるいは、先ほど先生おっしゃいました証券監視に関する専門職の設置、さらに言えば、その前段階としての法科大学院での証券、経済市場に関する専門教育、こういった分野についての先生のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
○郷原公述人 ライブドアの問題、ライブドアの事件という面で、私は事件の中身を詳細を把握しているわけじゃありません。その点についてのコメントは差し控えますけれども、新聞などで言われているように、あの事件が、株式、自社株の売却によって得た利益、それを、言ってみれば資本勘定に計上すべきであるのに利益として計上したことが粉飾だというふうにとらえられる、そういうようなことと、今回、もう数カ月後に施行される予定の会社法とどういう関係にあるのかというのは、これはかなり大きな問題があって、これからいろいろ検討していかないといけないのではないかと考えております。
と申しますのは、数年前からの会社法改正の流れというのはファイナンス理論というような考え方に基づいていまして、昔は、会社を自然人と同じように法人として権利能力を与えてきちんと尊重していくためにはいろいろな要件があるんだ、資本充実の原則とか、取締役が何人いないといけない、こういう仕組みじゃないといけないという要件を満たして初めて、会社というのはそういう権利能力を持つという考え方、言ってみれば強行法規的な考え方でした。
それが、もうそんなふうにかた苦しく考えなくていいんだ、会社というのは、お金を持っている人がお金を使いたい人にお金を流すための手段なんだというような考え方で、これをファイナンス理論と呼んでいますけれども、そういう方向での改正がどんどん進んできました。その総仕上げのような形になるのが、今回の、商法から分離されて独立する会社法の制定だろうと思います。
そういうような考え方が、果たして、今後、企業社会が健全に運営されていくためにいいのか悪いのか。ライブドアのような問題というのが、そういうような会社のあり方、会社法の位置づけの中でどういう問題なのかということも改めて考えてみないといけないのかなという気がしています。
ですから、結局のところ、会社は何をやってもいいんだ、そのかわり法さえ守っていればいいんだというのが、最初に私が述べた考え方です。それは、日本の経済社会でいろいろな手当てをしていかないとそういう考え方は妥当しないということは、先ほど申し上げたとおりです。
しかし、そういう方向にある程度進んでいくことは間違いない。そうであるとすれば、先ほども申しましたように、法曹の世界をもっと充実させていかないといけない。そのための教育として、専門法曹養成のための法科大学院の教育、経済に関する法、特に証券取引法などの教育というのはまだまだ不十分なものです。そういった面をもっと考えないといけないんじゃないかというのが私の意見です。
○小川(淳)委員 ありがとうございます。
吉野先生、これは私の考えなんですが、先ほど、日本人は低負担・高福祉を望むんだということをおっしゃいましたね。
私は、日本にこういう時代が来ればいいなと思っているんですが、この間、ある民放番組でニュース番組を見ていましたら、北欧で街頭インタビュー、普通に町を歩いている男性、北欧は、御存じのとおり国民負担率七割ですね、所得税率が五〇%、消費税率二五%、これは高くないかと聞かれたんですね。そうしたら、確かに高いと言うんですよ。確かに高いが、これはちゃんと私たちのために使われているから不満はないと言い切ったんですよ。
私は本当にびっくりして、とにかく日本を一日も早くそういう国にしたいんです。それが本当に価値観として成り立った日には、負担は低くて高いサービスをなんということは、多分おくびにも出てこなくなる。そんな誇り高い日本国家、日本国民になるんじゃないかなという気がしてなりません。これは、国民の責任であると同時に、本当に政治、政府の責任だという気がいたします。
最後に、私たちは、そろそろ、より上位の価値観が必要な時代に入っているのではないかという気がしています。と申しますのは、市場化そのものも、目的ではありません、手段です。少子化を防ぐことも多分手段、遵法精神をたっとぶことも多分手段、雇用を安定させることも多分手段。でも、それぞれの手段が一体何のための手段かというときに、私は、国家として、国民としての幸福感を増すため、幸福感を増すために効率化もせねばならないし、市場化が必要なときもある。でも、助け合いが必要なときもある、子供が必要なときもある、産まない選択肢もあっていい。何かそういう、今まで並べ立ててきた価値観のさらに上を行く価値観をこの日本でぜひ生み出していく、そんな政治をぜひこの国で実現したいと思っております。
きょうは大変勉強になりました。ありがとうございました。
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